発明と革新への情熱
左:濵永晋二
上:山陰中央新聞記事(1981年03月13日)
濵永晋二は、1956年、広島に生まれました。幼い頃からトランペットに心を奪われた彼は、プロの演奏家を目指し大学へ進学。そこで演奏の研鑽を積むかたわら、著名な金属工芸家であった高橋正訓氏から伝統的な金属加工技術の多くを学びます。在学中、「自分の作った楽器で演奏する」という夢のようなコンセプトを描くと、3年以上もの時間を費やしハンドメイドでピッコロトランペットを完成させ、これを実現させました。完成した楽器に初めて息を吹き込み、音が出た瞬間の感動こそが、彼を楽器づくりに目覚めさせ、その才能を育むきっかけとなったのです。
1982年、金管楽器の設計者としてヤマハ株式会社に入社した濱永は、当初1年の予定であった研修を半年で終えると、後にウィーンフィルで使用されることになるトロンボーンYBL-8XK2を開発。そして、1984年に設計したトランペット2本がカナディアンブラスの2人の名手に認められると、その実績を認められ、金管楽器の設計で一番難しいとされるホルンの設計者に任命されます。以来、デュアルプレーンバルブや世界初のフル・クアトロホルン、そして、サイレントブラスシステムといった数多くの新案特許を発表し続け、ヤマハ金管楽器の一つの黄金期を築き上げました。
バイロイト音楽祭にて。
向かって右がベルリンフィルの
Gerd Seifert氏。
1995年に発売され、大ヒット商品となったサイレントブラスシステム。
濵永は開発者として、世界中の演奏家から賞賛を浴び、また金管楽器に対する貢献を称えられ、国務大臣から表彰されました。
1999年、濵永はトランペット奏者として学生の頃からいつも描き続けていた、「世界最高のトランペットを創る」という自分の夢を実現するために、ベストブラスを設立しました。
そして、「金管楽器とその音楽の発展に寄与するため、偉大な先駆者たちの情熱を受け継ぎ、自らの最善を尽くす。」との理念を掲げ、1人でも多くの金管楽器愛好家が自身の音楽人生を豊かにすることができるよう、新たな道へ踏み出したのです。
左:創業時の事務所
ここから様々な楽器やアクセサリーが生み出されてきました。 詳しくは、会社沿革にてご覧頂けます。
現在のベストブラスには、濵永の熱い情熱に惹かれた優秀な人材が集まり、革新的なトランペットや高品質な楽器アクセサリーを開発し続け、それがブランドに大きな活力をもたらしています。これまで過去30年以上に渡り、金管楽器製作技術の限界に挑み、これを打ち破ることを常に目指してきた濵永晋二の芸術。その頂点を究め、永続的なものとするため、これからもベストブラスは絶え間ない努力を続けていきます。
濱永の発明であるデュアルプレーンバルブを初めて搭載したYHR-667V(日本名YHR-85V)。Gerd Seifert氏が使用し有名になりました。
Johannes Ritzkowsky氏の依頼で開発したフル・クアトロホルン YHR-9XX。
(F/B♭/d[d♭]/e)
カンパニーエンブレム
楽器、マウスピース、音波(Wave)を意のままに操り、その素晴らしい音色が遠くまで届くよう翼を携えています。また、エンブレムの中に隠されたエクスクラメーションマークは、ベストブラスの革新の素である「閃き」を表しています。